それは突然の嵐のような

 坊主頭にスーツ姿の彼が訪れるようになって、季節がひとつ分過ぎた。週に三度手伝いに来ているが、そのほとんどの日に彼はお弁当を買いに来ていた。恐らく、この店のメニューは一通り全て食べてしまっただろうと思う。
 副菜はその時に旬の野菜を用いたものでおばさんの気まぐれに作っているとは言え、メインは固定のお弁当達にそろそろ飽きが来てしまうのではないだろうか。よそのお弁当に比べれば、副菜にも力を入れ野菜も多く使っているとは言え、毎日のように食べていて栄養面は大丈夫なのだろうか。
 余計なお世話とも言える心配をしながらも、時計をちらちらと確認しては彼の来店を待っている自分がいた。
 
 彼が来店したのはいつもよりも一時間ほど遅い時間だった。今日は残業だったのですか、と声を掛けたくなったがグッと堪える。もはや常連となった彼と一言二言会話を交わす事はあっても、あまり踏み込んだ話はした事がない。普段の来店時間を覚えている、というのは一従業員と客としてよくある事なのかそうではないのか、判断に迷ってしまい口を噤む。
「いらっしゃいませ、今日は何になさいますか」
「どうも、今日は……えぇと、チキン南蛮弁当で」
「はい。おばさーん、チキン南蛮入りまぁす! あ、おじさん、ご飯は大盛りで!」
 彼はいつもご飯大盛りで頼むので、おじさんの代わりに盛り付けに入る時は何も言われずともご飯は多めによそっている(これはおまけではなく、ご飯大盛りは無料にしている)どうやら今日は腰の調子がいいらしいおじさんが、久しぶりに最後まで頑張るかと厨房にいたので注文内容と共に大盛りをお願いした。
 てっきり私が厨房に入ると思っていたらしい彼は少し目を丸くしていた。
「今日は、一人多いんですね」
「そうなんです。元はあちらの夫婦二人でやっているお店で、私はただのお手伝いなんです。あんまり色々私が手伝っているから、たまに娘だと勘違いされるんですけど」
「違うんですか」
「ええ、親戚でもない、ただのアルバイトなんですよ」
 なのにいつもこき使われちゃってるんです、と小声で悪戯に笑うと、彼も小さく笑った。普段は注文を取るとすぐに厨房に行ってしまう為、こんなに会話をする事もない。久しぶりに目にした彼の笑顔に心臓が跳ねた。
 会計も済ませ、何かもう少し会話をしてみたい気持ちと、いやいやいくらなんでも、という気持ちとがせめぎ合っていると、彼のポケットから音楽が鳴り響いた。着信を告げているスマホを取り出し、ぺこりと会釈して店の端で電話を取る。折角のチャンスを逃してしまったな、と少し残念に思いながら弁当の出来上がり状況をそっと確認する。電話が終わるのが先か、弁当が出来上がるのが先か。恐らく後者だろう。
 再び彼の方へ視線を戻すと、小声ではあるがえらく慌てた様子で通話をしていた。失礼とは思いながら、そっとその会話の内容が聞こえないかと神経を集中させる。――今からですか、なに、もう近くに? ちょっ……はぁ――そんな彼の声が聞こえ、急ぎの仕事でもあったのだろうか、と思った。何も聞いてませんよ、というポーズの為に、もう一度弁当が出来たかを確認するように厨房を見る。チキンが揚がり、甘酢に絡めているところだった。あともう少しというところだ。
「すみません、まだかかりますか?」
「いえ、あともう少しです。お待たせしてすみません」
「いえ、とんでもないです」
「もしかしてこれからまたお仕事、ですか?」
「え?」
「あ、いえ、すみません。ちょっとだけ聞こえてしまって」
 折角、何も聞いていませんよ、なんて顔して過ごしていたというのに結局聞いてしまった。会話をしながら店の外の様子をちらちらと振り返り確認する彼の姿が、なんだか不思議に思ったからだ。
「いや、なんというか……知人がどうもこの辺まで来ているようで」
「はぁ、なるほど……」
 もしかして、彼女さんですか、と一瞬浮かんだ問いは言葉に出来ず飲み込んだ。ただの弁当屋の女がそんな事を聞いてどうするのだ。
 厨房から、チキン南蛮あがりー! と声がするのと同時に、店の扉が開いた。一瞬モデルかなにかだろうかと思うような、美青年がそこに立っていた。褐色の肌に特徴的な眉をし、すらりとした長身でシンプルながらオシャレに服を着こなしているその男性は、何か面白いものを見つけたようにキラキラとした目をしていた。そして、その男性とは対照的に、彼はしまったという顔をして項垂れていた。
 
「見つけたぞ、月島ァ!」
「鯉登さん……あなた、いきなり来るのやめて下さいと何度言ったらわかるんですか」
「お前がなかなか教えてくれんからだろう。仕方ないから勝手に来る事にしたのだ」
「だから、どうして勝手に来るんですか!」
 キエェとなんだかよくわからない叫び声をしてコイトさんと呼ばれたその男性は何かを彼に捲し立てている。どこかの方言なのだろうか、よく聞き取れない。
 そうか、彼はツキシマさんというのか。初めて知る彼の名前をそっと心の中に書き留めた。
「えぇと、チキン南蛮弁当、出来ましたが……」
「あぁ、すみません騒いでしまって。すぐ出ますんで」
「いえ、とんでもない。いつもありがとうございます。またのお越しを――」
「失礼、あなたの名前を伺っても?」
「へっ?」
「ちょっ、鯉登さん!」
「なんじゃ、よかじゃろう」
 こちらの言葉を遮ったかと思えば、初めてお会いしたツキシマさんのお知り合いに名前を尋ねられる。頭の中にはてなマークを浮かべながら、「ミョウジナマエです」と思わずフルネームを告げる。
「ほう、ミョウジさん。こん男は無愛想じゃっどん、よか男なんでよろしゅう頼んど」
「は、はぁ……?」
「鯉登さん! いい加減にして下さい!」
 コイトさんと呼ばれるその人は、カウンター越しにぐいっと近付いて早口で何かを言う。恐らく、ツキシマさんをよろしくとか、そんな内容なのはわかったが、なぜ私にそんな事を言うのかもわからず、やはり頭の中ははてなマークでいっぱいだった。
 そんな私に平謝りしながら、ツキシマさんはコイトさんの腕を引っ張り店を後にする。
 先ほど言い切れなかった「またのお越しをお待ちしております」を、彼らの姿を扉越しに眺めながらそっと心の中で呟いた。
 次の出勤日も、おじさんの腰の調子がよくありますように。そして、今日のお話をまた次も出来ますように、と思いながら、強く心の中で呟いた。