嵐、再び
どうして私はこんな場所にいるのだろう、とかれこれ数十分は考えている。
確か私は、いつも通り仕事を終え昨夜約束をした弁当屋のおばさんの家に向かったはずだ。弁当屋の裏にある二人の家のインターホンを押し、玄関先で挨拶をして上がらせてもらおうと思った時にタイミング良く着信が鳴った。画面に映る『月島基』の文字に慌てて電話を取ってみれば、声の主は違う人で非常に混乱した。そう、今目の前でにこにこと笑っている鯉登さんの声だったのだ。
困惑する私に、今から迎えに行くので弁当屋のところで待っていろとだけ言うと鯉登さんは電話を切り、状況が飲み込めないままおばさんの顔を見た。この間よりもすっかり元気を取り戻し少しずつ歩くようになったおばさんは、なんだかよくわからないけれど用事が出来たなら行っておいでまた明日にでも来たらいいと笑っていた。
そうしてその十分後、弁当屋にあまりそぐわない立派な高級車が停まったかと思えば、運転席から顔を出した鯉登さんに乗るよう促される。よく見れば助手席に月島さんが呆れたような諦めたような顔で座っている。頭にハテナマークを浮かべながら、私は恐る恐る後部座席に乗り込んだ。
そして、今に至る。
到着したのは、小洒落たレストランだった。ドレスコードこそなさそうなものの、普段使いというよりは記念日なんかに使われそうな少し高級感のあるその店に自分が場違いな気がして思わず俯く。鯉登さんは慣れたもので、好きな物を気にせず頼めと言う。月島さんをちらりと見れば、申し訳なさそうに頭を下げていた。
「いやあすまなかったなミョウジさん。もしかして今日も二人で会うつもりだったのでは?」
「え? いや、そういうわけでは」
「先程月島から話を聞いてな。この数日間食事をしていたんだろう? 私の約束のせいで邪魔してしまったようなので、せめてもの詫びとして三人で食事をしようと思ってな」
「は、はぁ……?」
「鯉登さん、あなたがただ三人で食事してみたかっただけでしょう」
「ははは、バレたか。流石月島にはお見通しだな」
「はぁ……すみません。鯉登さんは、一度言い出したら聞かないもので」
「あ、いえいえ。ほら前に私も三人で食事をって話をしてたじゃないですか。大丈夫ですよ」
まあ思っていたよりも早かったし、何より想像していたお店とは違って動揺はしているけれど、それは言わないでおこう。
結局あれやこれやと鯉登さんが注文してくれたものが運ばれてきて、それを取り分けながら食べる。見た目も良くとても美味しいはずなのに、なんだかあまり味がしなかった。日頃どちらかと言えば大衆向けの居酒屋や定食屋ばかりで、さらにここ数年恋人もおらずこういった店に来る機会もほとんどなかったので、どうにも落ち着かないのだ。昨夜洋食屋の雰囲気に似つかわしくないと思っていた月島さんは、今日は特に違和感もなく慣れたように食事をしていた。一人だけソワソワしているようで恥ずかしい。
「しっかり食べているか、月島。ミョウジ」
「は、はい! 美味しい、です」
「ははは、そんなに畏まらんでいいぞ」
「鯉登さんはもう少し敬ったらどうです。この中であなたが一番年下ですよ」
「む、それもそうか」
「いえいえ、いいんですよ! 気にしないでください」
鯉登さんと月島さんが仲良く話すのを——というよりは鯉登さんが楽しく話しているのを——見ながら、食事を進めていく。小難しい名前の料理たちの後、最後に頼まれたムースを食べる頃にはやっと緊張もほぐれその甘さを美味しく感じていた。
「思った通り美味かったな。ミョウジはどう思った」
「はい、美味しかったです。どれも見栄えもお洒落で。女性ウケしそうですね」
「そうだな。うん、女性の意見も聞けるのは非常にいいな。なあ月島」
「あなたの感性でも十分女性ウケは理解出来そうですけどね」
どうやら鯉登さんのお父様が経営されている会社では最近飲食系のマーケティングも行っているらしく、大学卒業後鯉登さんはそちらに入社予定らしい。その為今から色々と勉強中のようだった。熱心な事である。
「……あ」
「ん、どうした?」
「いえ、あの……昨夜、よく付き合わされて行くことならある、って言ってたのもしかして鯉登さんにですか?」
「え? あぁ、そうですね。よく連れ回されています」
「連れ回すとは人聞きの悪い。社畜のお前を心配してやっていると言うのに」
「はいはい、すみません」
「まったく」
二人のやり取りにくすくすと笑いが溢れる。なんだ、他の女性とも頻繁に食事に行くわけじゃなかったのかと少しホッとした。
食後のコーヒーが運ばれてくると、月島さんはお手洗いへと席を立った。思いがけず、鯉登さんと二人だけになる。
「今日は楽しかったです。ありがとうございました」
「急に呼び出して悪かったな。一度三人で食事をしてみたかったのは本当だ。まさか既に二人で何度も食事に行ってるとは思わなかったがな」
「あは、そうなんですね」
「月島からミョウジの話をよく聞いててな。ずっと気になっとたんだ」
「私の、ですか?」
「ああ。なんでも近所の弁当屋の料理が絶品で、何よりそこの店員が感じがいいとな。元々倹約家で自炊派のあいつがしょっちゅう弁当屋に行ってるようだったから、これは何かあるなと思ったんだ」
「……そう、なんですか?」
さらりと話し出す鯉登さんに、思わず顔を赤らめる。これは私が聞いていい話なのだろうかと思う気持ちと、もっと聞いてしまいたい気持ちがせめぎ合っていた。
「ああ、家に行くと弁当屋のゴミが増えていたから、よっぽど忙しいのかと心配したが定時に仕事が終わっている日も行っている、それも決まった曜日だけというんだから、なるほど弁当自体じゃなくて他に目当てがあるんだなとピーンと来てな。それでいつだったか月島の家の近くの弁当屋を探してみたというわけだ」
なるほど、それがあの日だったわけかと鯉登さんが初めて来た日を思い出していた。
「まあ何はともあれ月島に元気が戻ってよかった。昔好いた女と駄目になってからは、かなり自暴自棄になっていたからな」
「そうなんですか?」
「昔の話だがな。ここ数ヶ月の月島は心身ともに健康そうで安心している。少し前は連絡が取れん時期があって少し困ったがな」
おそらく、私と鯉登さんのことで月島さんが勘違いしていた時期なのではないか、と思っていると月島さんが戻ってきた。まだ紅潮する頬を落ち着かせられず思わず俯く。
「……? 鯉登さん、なんか変な事言ったんじゃないでしょうね」
「なんじゃ、変な事とは」
「いや、その」
「おいはそげん口が軽そうな男か?」
「いえそう言うわけじゃ」
少しむっとしたように鯉登さんが早口で捲し立てる。
「変な事とはあれか? わいが仕事が忙しか日も落ち着いた日も月水金だけは足繁う弁当屋に通っちょったことか? そけお気に入りん店員がおって話か? 最近連絡先を交換して舞い上がっとっがデートにも誘えんな悩んどっ話か?」
「こ、鯉登さん!」
突然の鯉登さんの方言の嵐に、月島さんは慌てて制する。早口で聞き馴染みのない方言だったけれど、なんとなく言いたいことは伝わってきて私の顔はどんどん赤らんでいく。おかしいな、お酒は一滴も飲んでいないはずなのに。
「ふん、私もトイレに行ってくる」
「えっ、あ、鯉登さん」
今月島さんと二人にしないで、なんて思うけれどその願いは叶わず赤くなった私と気まずそうな月島さんが二人席に残される。去り際に少しだけにやりと笑った顔の鯉登さんが見えた気がした。きっとわざとこの状況にしたのだろう。
「あの……」
「は、はい」
「その、意味は通じましたか。先程の」
「ええと、まあ、なんとなくは……」
「そうですか……」
沈黙を破ろうと月島さんが口を開いたが、それだけのやり取りをしてまたお互いに無言になってしまった。何をどう切り出したらいいかわからぬまま数分その状態が続き、戻ってきた鯉登さんは呆れたように私たちを見下ろしいた。
どうやら既に鯉登さんが会計を済ませていたようで、促されるままに店を出た。こんな高そうなお店を年下に奢ってもらうわけにはと思ったが、鯉登さんにも月島さんにも気にしないでくれと制されてしまう。再度鯉登さんの運転する車に乗り込み、弁当屋の近くまで送ってもらう。助手席の月島さんは物言いたげに鯉登さんを睨みつけていた。場の空気を少しでも誤魔化すように鯉登さんは車内の音楽を少しだけ上げ、車を走らせた。
「今日は本当に突然悪かったな。まあまたいつか」
そう言って鯉登さんは私と月島さんを降ろして颯爽と去っていった。本当に毎度嵐のような人だと思う。残された私達は、とりあえずいつものコンビニまで歩きましょうかと月島さんに言われ歩き出した。
「ふふ、本当にすごい勢いの方ですね、鯉登さんって」
「ええ、お陰でよく振り回されています」
「楽しそうだけど、大変そうですね」
「……あの、さっきの話なんですが」
「……はい」
流すべきなのかどうなのかと思い違う話題を振ったが、月島さんの方から切り出され思わず身構える。
「その、鯉登さんに色々言われてしまって、既にもう自分の気持ちは伝わっているのかもしれないんですが」
「……えっと」
「一度、さっきの話は忘れてもらえませんか」
「えっ」
なかったことにしてほしいという事だろうか。ほんの僅かに期待した気持ちがひび割れていくように感じる。ショックを隠せない私の顔を見た月島さんが慌てて言葉を続ける。
「あ、違うんです。その……鯉登さんの口から伝わって、というのが癪で……自分の口からきちんと言いたいといいますか……もちろん本当に忘れるなんて、無理なことはわかっているんですが」
「……はぁ」
「……今度の土日は、予定はありますか」
「へっ? ええと、特には」
「では日曜日。よかったら、どこかへ出掛けませんか。食事だけでなく、どこか別の場所へ」
「は、はい! どこへでも!」
勢いよく顔を上げそう言うと、ほっとしたような顔をして月島さんは笑った。
「水族館とか映画とか、色々考えたんですが、どうでしょう」
「あ、最近行っていないので水族館に行きたいです」
「では、水族館に。詳しい時間はまた連絡してもいいですか?」
「はい、わかりました!」
「……明日はちょっと、会社の飲み会があるんですが」
「へっ、あ、はい。私も、明日こそはおばさんのところに行くので」
「そうでした。今日は本当にすみません。よろしくお伝え下さい」
「ふふ、わかりました」
「楽しみにしてます。それでは、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい。帰り着いたら、また連絡します」
ぺこりと頭を下げると、月島さんは照れ臭そうに笑いながら手を振って私を見送ってくれた。月島さんの姿が見えなくなっても、頬がどうしようもなく緩んで仕方がなかった。日曜日、何を着て行こう。日曜日! こんなに心躍らせる週末の予定は久しぶりで、スキップをしそうな勢いで私は家へと帰ったのだった。 どうして私はこんな場所にいるのだろう、とかれこれ数十分は考えている。
確か私は、いつも通り仕事を終え昨夜約束をした弁当屋のおばさんの家に向かったはずだ。弁当屋の裏にある二人の家のインターホンを押し、玄関先で挨拶をして上がらせてもらおうと思った時にタイミング良く着信が鳴った。画面に映る『月島基』の文字に慌てて電話を取ってみれば、声の主は違う人で非常に混乱した。そう、今目の前でにこにこと笑っている鯉登さんの声だったのだ。
困惑する私に、今から迎えに行くので弁当屋のところで待っていろとだけ言うと鯉登さんは電話を切り、状況が飲み込めないままおばさんの顔を見た。この間よりもすっかり元気を取り戻し少しずつ歩くようになったおばさんは、なんだかよくわからないけれど用事が出来たなら行っておいでまた明日にでも来たらいいと笑っていた。
そうしてその十分後、弁当屋にあまりそぐわない立派な高級車が停まったかと思えば、運転席から顔を出した鯉登さんに乗るよう促される。よく見れば助手席に月島さんが呆れたような諦めたような顔で座っている。頭にハテナマークを浮かべながら、私は恐る恐る後部座席に乗り込んだ。
そして、今に至る。
到着したのは、小洒落たレストランだった。ドレスコードこそなさそうなものの、普段使いというよりは記念日なんかに使われそうな少し高級感のあるその店に自分が場違いな気がして思わず俯く。鯉登さんは慣れたもので、好きな物を気にせず頼めと言う。月島さんをちらりと見れば、申し訳なさそうに頭を下げていた。
「いやあすまなかったなミョウジさん。もしかして今日も二人で会うつもりだったのでは?」
「え? いや、そういうわけでは」
「先程月島から話を聞いてな。この数日間食事をしていたんだろう? 私の約束のせいで邪魔してしまったようなので、せめてもの詫びとして三人で食事をしようと思ってな」
「は、はぁ……?」
「鯉登さん、あなたがただ三人で食事してみたかっただけでしょう」
「ははは、バレたか。流石月島にはお見通しだな」
「はぁ……すみません。鯉登さんは、一度言い出したら聞かないもので」
「あ、いえいえ。ほら前に私も三人で食事をって話をしてたじゃないですか。大丈夫ですよ」
まあ思っていたよりも早かったし、何より想像していたお店とは違って動揺はしているけれど、それは言わないでおこう。
結局あれやこれやと鯉登さんが注文してくれたものが運ばれてきて、それを取り分けながら食べる。見た目も良くとても美味しいはずなのに、なんだかあまり味がしなかった。日頃どちらかと言えば大衆向けの居酒屋や定食屋ばかりで、さらにここ数年恋人もおらずこういった店に来る機会もほとんどなかったので、どうにも落ち着かないのだ。昨夜洋食屋の雰囲気に似つかわしくないと思っていた月島さんは、今日は特に違和感もなく慣れたように食事をしていた。一人だけソワソワしているようで恥ずかしい。
「しっかり食べているか、月島。ミョウジ」
「は、はい! 美味しい、です」
「ははは、そんなに畏まらんでいいぞ」
「鯉登さんはもう少し敬ったらどうです。この中であなたが一番年下ですよ」
「む、それもそうか」
「いえいえ、いいんですよ! 気にしないでください」
鯉登さんと月島さんが仲良く話すのを——というよりは鯉登さんが楽しく話しているのを——見ながら、食事を進めていく。小難しい名前の料理たちの後、最後に頼まれたムースを食べる頃にはやっと緊張もほぐれその甘さを美味しく感じていた。
「思った通り美味かったな。ミョウジはどう思った」
「はい、美味しかったです。どれも見栄えもお洒落で。女性ウケしそうですね」
「そうだな。うん、女性の意見も聞けるのは非常にいいな。なあ月島」
「あなたの感性でも十分女性ウケは理解出来そうですけどね」
どうやら鯉登さんのお父様が経営されている会社では最近飲食系のマーケティングも行っているらしく、大学卒業後鯉登さんはそちらに入社予定らしい。その為今から色々と勉強中のようだった。熱心な事である。
「……あ」
「ん、どうした?」
「いえ、あの……昨夜、よく付き合わされて行くことならある、って言ってたのもしかして鯉登さんにですか?」
「え? あぁ、そうですね。よく連れ回されています」
「連れ回すとは人聞きの悪い。社畜のお前を心配してやっていると言うのに」
「はいはい、すみません」
「まったく」
二人のやり取りにくすくすと笑いが溢れる。なんだ、他の女性とも頻繁に食事に行くわけじゃなかったのかと少しホッとした。
食後のコーヒーが運ばれてくると、月島さんはお手洗いへと席を立った。思いがけず、鯉登さんと二人だけになる。
「今日は楽しかったです。ありがとうございました」
「急に呼び出して悪かったな。一度三人で食事をしてみたかったのは本当だ。まさか既に二人で何度も食事に行ってるとは思わなかったがな」
「あは、そうなんですね」
「月島からミョウジの話をよく聞いててな。ずっと気になっとたんだ」
「私の、ですか?」
「ああ。なんでも近所の弁当屋の料理が絶品で、何よりそこの店員が感じがいいとな。元々倹約家で自炊派のあいつがしょっちゅう弁当屋に行ってるようだったから、これは何かあるなと思ったんだ」
「……そう、なんですか?」
さらりと話し出す鯉登さんに、思わず顔を赤らめる。これは私が聞いていい話なのだろうかと思う気持ちと、もっと聞いてしまいたい気持ちがせめぎ合っていた。
「ああ、家に行くと弁当屋のゴミが増えていたから、よっぽど忙しいのかと心配したが定時に仕事が終わっている日も行っている、それも決まった曜日だけというんだから、なるほど弁当自体じゃなくて他に目当てがあるんだなとピーンと来てな。それでいつだったか月島の家の近くの弁当屋を探してみたというわけだ」
なるほど、それがあの日だったわけかと鯉登さんが初めて来た日を思い出していた。
「まあ何はともあれ月島に元気が戻ってよかった。昔好いた女と駄目になってからは、かなり自暴自棄になっていたからな」
「そうなんですか?」
「昔の話だがな。ここ数ヶ月の月島は心身ともに健康そうで安心している。少し前は連絡が取れん時期があって少し困ったがな」
おそらく、私と鯉登さんのことで月島さんが勘違いしていた時期なのではないか、と思っていると月島さんが戻ってきた。まだ紅潮する頬を落ち着かせられず思わず俯く。
「……? 鯉登さん、なんか変な事言ったんじゃないでしょうね」
「なんじゃ、変な事とは」
「いや、その」
「おいはそげん口が軽そうな男か?」
「いえそう言うわけじゃ」
少しむっとしたように鯉登さんが早口で捲し立てる。
「変な事とはあれか? わいが仕事が忙しか日も落ち着いた日も月水金だけは足繁う弁当屋に通っちょったことか? そけお気に入りん店員がおって話か? 最近連絡先を交換して舞い上がっとっがデートにも誘えんな悩んどっ話か?」
「こ、鯉登さん!」
突然の鯉登さんの方言の嵐に、月島さんは慌てて制する。早口で聞き馴染みのない方言だったけれど、なんとなく言いたいことは伝わってきて私の顔はどんどん赤らんでいく。おかしいな、お酒は一滴も飲んでいないはずなのに。
「ふん、私もトイレに行ってくる」
「えっ、あ、鯉登さん」
今月島さんと二人にしないで、なんて思うけれどその願いは叶わず赤くなった私と気まずそうな月島さんが二人席に残される。去り際に少しだけにやりと笑った顔の鯉登さんが見えた気がした。きっとわざとこの状況にしたのだろう。
「あの……」
「は、はい」
「その、意味は通じましたか。先程の」
「ええと、まあ、なんとなくは……」
「そうですか……」
沈黙を破ろうと月島さんが口を開いたが、それだけのやり取りをしてまたお互いに無言になってしまった。何をどう切り出したらいいかわからぬまま数分その状態が続き、戻ってきた鯉登さんは呆れたように私たちを見下ろしいた。
どうやら既に鯉登さんが会計を済ませていたようで、促されるままに店を出た。こんな高そうなお店を年下に奢ってもらうわけにはと思ったが、鯉登さんにも月島さんにも気にしないでくれと制されてしまう。再度鯉登さんの運転する車に乗り込み、弁当屋の近くまで送ってもらう。助手席の月島さんは物言いたげに鯉登さんを睨みつけていた。場の空気を少しでも誤魔化すように鯉登さんは車内の音楽を少しだけ上げ、車を走らせた。
「今日は本当に突然悪かったな。まあまたいつか」
そう言って鯉登さんは私と月島さんを降ろして颯爽と去っていった。本当に毎度嵐のような人だと思う。残された私達は、とりあえずいつものコンビニまで歩きましょうかと月島さんに言われ歩き出した。
「ふふ、本当にすごい勢いの方ですね、鯉登さんって」
「ええ、お陰でよく振り回されています」
「楽しそうだけど、大変そうですね」
「……あの、さっきの話なんですが」
「……はい」
流すべきなのかどうなのかと思い違う話題を振ったが、月島さんの方から切り出され思わず身構える。
「その、鯉登さんに色々言われてしまって、既にもう自分の気持ちは伝わっているのかもしれないんですが」
「……えっと」
「一度、さっきの話は忘れてもらえませんか」
「えっ」
なかったことにしてほしいという事だろうか。ほんの僅かに期待した気持ちがひび割れていくように感じる。ショックを隠せない私の顔を見た月島さんが慌てて言葉を続ける。
「あ、違うんです。その……鯉登さんの口から伝わって、というのが癪で……自分の口からきちんと言いたいといいますか……もちろん本当に忘れるなんて、無理なことはわかっているんですが」
「……はぁ」
「……今度の土日は、予定はありますか」
「へっ? ええと、特には」
「では日曜日。よかったら、どこかへ出掛けませんか。食事だけでなく、どこか別の場所へ」
「は、はい! どこへでも!」
勢いよく顔を上げそう言うと、ほっとしたような顔をして月島さんは笑った。
「水族館とか映画とか、色々考えたんですが、どうでしょう」
「あ、最近行っていないので水族館に行きたいです」
「では、水族館に。詳しい時間はまた連絡してもいいですか?」
「はい、わかりました!」
「……明日はちょっと、会社の飲み会があるんですが」
「へっ、あ、はい。私も、明日こそはおばさんのところに行くので」
「そうでした。今日は本当にすみません。よろしくお伝え下さい」
「ふふ、わかりました」
「楽しみにしてます。それでは、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい。帰り着いたら、また連絡します」
ぺこりと頭を下げると、月島さんは照れ臭そうに笑いながら手を振って私を見送ってくれた。月島さんの姿が見えなくなっても、頬がどうしようもなく緩んで仕方がなかった。日曜日、何を着て行こう。日曜日! こんなに心躍らせる週末の予定は久しぶりで、スキップをしそうな勢いで私は家へと帰ったのだった。