一杯分の時間をください

 弁当屋からすぐ近く、角のコンビニへ向かう。途中に並ぶ店先のウィンドウに映る自分自身を、念の為もう一度確認してみる。今日は短時間だったので帽子の跡も着いていなかった、解いた髪も乱れていない、メイクも直した。よし、きっと大丈夫。小さく深呼吸をしてから足を進めた。
 
 コンビニへ着くと、店の外に設置されている灰皿コーナーにツキシマさんの姿を発見する。煙草を吸うんだなと少し驚きながらも、とても似合うその姿に胸がきゅっとなる。私に気付くとツキシマさんは一瞬キョトンとした顔をし、その後煙草を灰皿に押し付け火を消してこちらへ近付いてきた。 
「すみません、お待たせしました」
「ああ、いえ……雰囲気が変わりますね」
「え?」
「髪、おろしていると」
「あー、そうですか? いつも制服姿ですもんね」
 なんだか照れ臭くて、ふふふと笑う。
「お煙草吸われるんですね」
「ああ、失礼。お嫌いでしたか?」
「いえ、大丈夫ですよ。気になさらないでください」
「それならよかった」
「えぇと……それで、ご飯なんですけど、近くに美味しい定食屋があって、ただ閉店が夜九時なんです。今からならバタバタ間に合うかなぁ、という感じで……あとは、焼き鳥屋さんとかお酒が飲める所とかももう少し先に」
 ツキシマさんはちらりと時計を確認する。今は二十時十五分を少し過ぎた頃、間に合わなくもないがバタバタと本当にご飯を食べて解散になる流れだろう。せっかくの機会だから出来ればもっと長くいられたら、と私は思ったがツキシマさんはどうかわからず、探るように尋ねた。
「なるほど……ちなみに、お酒はお好きなんですか?」
「はい! 強くはないですけど、好きです。ツキシマさんは?」
「まあ、嗜む程度には。では、焼き鳥屋に行きますか?」
「! はい、では案内しますね!」
 ツキシマさんも同じように思ってくれての提案ならいいな、とふわふわした気持ちのままに歩きだす。いつもカウンター越しに少しの会話をしていたツキシマさんが、今隣に並んで歩いている。ちらりと横を見やると、ツキシマさんの少し低めの鼻が月明かりに照らされていて、こんなに近くで横顔を眺めている事が不思議で仕方なくて、顔がにやけてしまうのを抑えられそうにない。
 そんな私に気付かれる前にと、歩きながら口を開く。
「ツキシマさんは、苦手な食べ物はありますか?」
「いえ、特にないですね。割と何でも食べます」
 確かに、弁当も全ての種類食べ尽くしてるツキシマさんは好き嫌いがあまりなさそうだなと納得した。
「逆に、何かありますか?」
「んーそうですね、私も特に……あ、でも辛い物はあまり得意ではないです。唐辛子系の」
「なるほど、ではそういったつまみは避けましょうか」
「あ、でも食べたい物があればお気遣いなく!」
「まあ、自分は何でも食べれるんで大丈夫ですよ」
 にこりと優しい笑顔をしてツキシマさんが言う。その笑顔にまた胸がきゅっとなる。きっと赤くなっている顔を、夜道で隠れている事を願いながら目当ての焼き鳥屋へと向かった。
 
 焼き鳥屋の暖簾をくぐると、週末だからか店内は少し混み合っていた。端の方に空いていた二人用の席に通され、私達は腰を下ろした。スーツの上着を脱ぐツキシマさんに飲み物はビールで大丈夫ですかという確認をしていると、ちょうど店員がおしぼりを持って来たのでそのままビールを二つ注文した。
「食べたいものありますか」
「へぇ、色々ありますね、刺身なんかも」
「えぇ、ここのお刺身新鮮で美味しいんですよ。盛り合わせ頼みますか?」
「そうですね。串も、苦手な物がないのであれば盛り合わせにしましょうか」
「はい、じゃあそれで」
 そんなやり取りをしていると早速ビールとお通しが運ばれてきた。刺身と焼き鳥をそれぞれ盛り合わせで頼み、他にはすぐに出されそうな枝豆や冷奴、鶏皮のポン酢和えなどを適当に注文した。店員が去ると、ジョッキに手をかけ、乾杯をして喉を潤す。口をつけて気付いたが、どうやら緊張で喉がカラカラに渇いていたらしい。二口三口喉を鳴らして、ジョッキをそっと置く。
「あの、大変今更ですが……改めましてミョウジナマエ、です。今日はいきなりすみません」
 突然改まって自己紹介をした私に、ツキシマさんは目を丸くした後に吹き出して笑う。
「本当に、今更ですね」
「いや、よく考えたらコイトさんには名乗ったけど、ツキシマさんにはちゃんと名乗ってなかったなと思って」
「ああ、そう言われたらそうですね」
 ふ、と小さく笑って、ツキシマさんも持っていたジョッキを下ろし私を見る。
「改めまして、月島基と言います。いつも美味しいお弁当、ありがとうございます」
「いえいえ。ハジメさん……どういう字を書かれるんですか?」
「空に浮かぶ〝月〟に離島なんかの〝島〟、それから基本とか基礎とかの基の字で〝基〟です」
 机の上に指で字を書きながら月島さんはそう説明してくれた。
「月島、基さん。ふふ、素敵なお名前ですね」
「そうですか?」
「えぇ、基本とか基礎とか、なんていうかそういうのをしっかりされてそうなイメージあります。物事のはじめをきちんとされているというか」
「はは、買い被り過ぎですよ」
「いえ、いつものやり取りからはそんな印象を受けてますよ」
「はぁ……それは、どうも」
 ぽりぽりとおでこの辺りを掻きながら月島さんは答えた。もしかして照れてるのかなとその様子を眺める。こちらまで照れ臭くなって、箸を手に取りお通しのもつ煮を口に運んだ。月島さんはもう一口グイッとビールを喉に流し込む。そうこうしている間に枝豆や刺身の盛り合わせが運ばれてきて、それを取り分けながら話題を変えていった。
「そういえば、お仕事は落ち着きましたか? 今日も、少し遅かったみたいですが」
「ああ、はい。仕事は片付いたんですが、今日はちょっと……その、厄介な人に捕まりまして」
「え、お客様とかですか」
「いえ……先日来たでしょう、あの人です」
「ああ、コイトさん!」
「ええ、そうです。何やら聞いて欲しい話があるとかで長電話に付き合っていました」
「ふふ、仲良しなんですね。コイトさんと月島さんって、随分歳が離れてるように思うんですけど、どういうお知り合いなんですか? コイトさんはタメ口で月島さんは敬語だから、なんだか不思議で」
「あぁ……あの人は、取引先のお偉いさんのご子息なんです」
「なるほど?」
 それならば、二人のやり取りの違和感にも少し納得がいく。
「でも、結構親しげに見えましたよ」
「自分が入社してすぐの頃、その会社とのイベントがありまして。その時にまだ幼かった鯉登さんの子守りというか、少し面倒を見たら妙に懐かれたんです。それで未だによく飯やらに付き合わされていて」
「ふふ、なるほど。でもいいですね、そんなに懐かれるだなんて」
 月島さんの言葉の割に、表情は満更でもなさそうな感じがなんだか微笑ましくてそう言うと、月島さんはぴくりと眉を動かしたように見えた。気のせいだろうか。
「コイトさんって、大学生くらいなんですか?」
「そうですね、確か今大学三年だったと思います。ミョウジさんも、同じくらいですか?」
 ビールを口に含もうとしていた私は思わず咽せそうになる。どちらかと言えば年齢よりも若く見られる方ではある自覚はあるが、いくらなんでも学生に間違われるとは。
「待って下さい、月島さんには私がそんなに若く見えるんですか?」
「違うんですか? てっきり学校の後にアルバイトをしている学生かと」
「んん、恐らく月島さんよりは歳下だと思いますが、少なくともコイトさんよりは月島さんとの方が年が近いと思います。あと、昼間は働いてます」
 今までで一番目を丸くして吃驚した月島さんの顔を見て思わず笑う。簡単に私があの弁当屋で働いている経緯を話す。学生時代アルバイトをしていた事、その後もしょっちゅう弁当を買っていてお世話になっていた事、ピンチヒッターで手伝いに入っているのが思いがけず長引いてる事。
「そうだったんですね、それは失礼しました」
「いえいえ、まだ私も若く見られるんだなと喜んでいます」
「ふ、それならよかった」
 お互い料理に口を付けながら笑う。店員が焼き鳥の盛り合わせを運んできたので、私はぼんじりを、月島さんはハツを手に取る。
「ん、美味しいですね」
「ふふ、でしょう。ここお気に入りなんです」
「よく来られてるんですか?」
「学生時代は、よく。最近は友人達もこの辺に住んでいないので、今日は久しぶりに来ました」
「家はこの近所なんですか」
「はい。月島さんは、お家がこの辺なんですか? それとも職場が?」
「職場はここよりもっと先です。家は、弁当屋を挟んで反対方面ですね。ちょうど職場から家への帰り道にあの弁当屋があるという感じです」
「そうだったんですか、じゃあ今までもどこかですれ違っていたかもしれませんね」
「本当ですね」
 月島さんは二本目の串につくねを選び、ちらりとメニュー表に目をやる。追加で何を頼みますかと相談をしながら、私は次の話題を探していた。
 
 二杯目のお酒が半分に減った頃には、私はほんのりと酔っていた。月島さんは顔色も変わらず、私より少し早めのペースで三杯目のお酒を飲み干していた。机の上にはあの後頼んだ料理の皿達がほとんど空いた状態で並ぶ。唐揚げにポテトサラダ、焼き餃子に豚平焼きなど様々な料理を頼んではガツガツと口に運ぶ月島さんに今度は私が目を丸くする番だった。年齢を聞くと、やはり私よりも歳上だった月島さんは、それにも関わらず胃はとても若く元気なようでよく食べた。その食べっぷりは見ていて楽しいほどだった。
「なんだか自分ばかり食べてしまってすみません」
「え、いいえ全然! たくさん食べる人の姿見るの好きなので!」
「ふ、そうなんですか?」
 嘘である。今までそんな事を思った事はないのだが、だけど今この時月島さんがたくさん食べる姿を見るのは間違いなく楽しくて大好きな時間だった。この時が終わらなければいいのにと思う。
「ふふ、月島さんと焼肉とかビュッフェとか、食べ放題のお店に行ったら楽しそうですね」
「そうですか?」
「はい! 行ってみたいです。……あ、鯉登さんもお若いですし結構食べたりするんですか? それなら、三人でもいいですし」
 図らずもデートのお誘いになってしまった気がして、思わずそんな事を口走る。それまで和やかな空気をしていた月島さんがまた眉をぴくりと震わせ、少しだけ空気が変わるのを感じた。
「……ああ、まあそうですね。自分程ではないですが」
「……えっと」
 何か気に障る事を言ってしまったのかもしれない、と冷や汗をかく。ほんのりと回っていた酔いがスッと冷めていった。私が何か言うより先に月島さんが真顔で口を開く。
「もし、鯉登さんに気がおありでしたら、仲を取り持ちましょうか」
「……は?」
「三人で、などと回りくどいことをせずとも初めから二人で食事が出来るように手配出来ますよ」
「いえ、あの、え?」
「ああ、勿論初めから二人では緊張するという事であれば、自分も同席して構いません」
「ちょ、ちょっと待って下さい月島さん!」
 思わず大きな声を出してしまう。はっと周りを見るが、幸い混み合った店内では私の声では私の声は掻き消されそこまで周囲には届いていなかった。
 少し前までの和やかな空気を纏った月島さんが一変して、感情の読み取れない表情をして私を見据える。その表情に完全に酔いが冷め、心臓が違う意味でドクドクと激しく動く。
「あの、何か勘違いされてないですか?」
「勘違いも何も、そうでしょう。先ほどから会話の端々に鯉登さんの名前を出して色々と聞いて。この間も顔を赤く染めながら鯉登さんと会話されてましたよね」
「えぇ?」
 何の話だか全くわからない。確かに鯉登さんの話はした、だがそれは話を繋げようとした時にそういえばと何度か名前を出しただけだ。
「覚えてないんですか。鯉登さんが二度目の来店をした時です」
「……あぁ」
 恐らくおばちゃんに揶揄われて否定していた時だろう。そういえばそんな事もあった気がする。思い返しながら、ふと気付く。
「待って下さい、月島さんあの日お店来てたんですか?」
「……っ」
 月島さんはしまったという表情をして俯く。一体全体どうなっているのかさっぱりわからない。だが、何か勘違いが起きているという事だけは理解出来て、それを何とか解かねばいけない事だけはわかった。
「もしかして、私が鯉登さんを好き、と思われてます?」
「……違うんですか」
「えっと、そうですね。違います、ね」
 信じられないというような目で月島さんは私を見る。
「確かに鯉登さんは整った顔していて格好いいなぁと思いましたけど、なんというか芸能人を間近で見てびっくり! みたいな感情に近かったですね」
「はぁ……」
 わかるようなわからないような顔を月島さんはしていた。まだ疑惑が払拭出来ていないようだ。どうすればいいかと考えながらも、ふと一つの可能性が浮かぶ。あの日から突然月島さんが現れなくなったのは何故なのか。先程から鯉登さんの名前を出す度に一瞬空気が変わるのは何故なのか。今、こんな事を言われいるのは、何故なのか。
 ——もしかして、鯉登さんに嫉妬してる?
 何故嫉妬しているのか、それはもしや月島さんも少なからず自分の事を意識してくれているのでは、と淡い期待をする。それが自分にとって都合の良すぎる期待とはわかっていているが、そう思いたくて仕方がなかった。温くなったビールのジョッキをグッと握って渇いた喉に流し込み、そして口を開いた。
「私が気になっているのは、鯉登さんじゃないです」
「はぁ」
「私がもっと知りたくて、もっともっと一緒にいたたいなと思うのは、鯉登さんじゃなくて、その……」
 はっきりと言葉にする勇気があと一歩のところで出ず、思わず言い淀んでしまう。アルコールのせいではなく紅潮した顔でじっと熱っぽい視線を送ると、訝しげな顔をしていた月島さんがはっと息を呑んだように見えた。暫く沈黙の時間が流れ、その沈黙に耐えられずもう一度ビールを口に含む。何か言わなければと思っていると、タイミングが良いのか悪いのか、店員が空いた皿をお下げしていいですかとやって来た。お互いの飲み物も空になり、料理もすっかり食べ切っている。月島さんは少し考えてから、店員にお会計をと頼んだ。
 
 その後数分間、気まずい沈黙の時間を過ごしながら店員が伝票を持ってくるのを待った。店員が来ると、月島さんはサッと伝票を受け取り会計を済まそうとするので慌ててお札を差し出す。
「突然お誘いしたのは私ですから」
「いえ、自分の方が食べてますから」
「せめて半分出させて下さい!」
「こういうのは歳上で男の自分が出しますんで」
 そう言って、月島さんは結局私からは一円も受け取らず会計を済ませた。腑に落ちないまま荷物を手に取り店を出る。
「……すみません、お誘いしたのに、ご馳走になってしまって……」
「気にしないで下さい」
 店先から少し離れた所で立ち止まり、お礼を言う。店を出たものの、先ほどのやり取りがなかった事にされるのが怖くて、どうしたらわからず立ち竦んでいた。
「……えぇと」
「……」
「家はどちらですか。遅くなったので送りますよ」
「あ、えっと、先ほどのコンビニのすぐ近く、です」
「では、その辺りまで行きましょうか」
 何事もなかったかのように、月島さんが歩き出す。来た時と同じ道を戻りながら、先程とは打って変わって静かに二人で歩く。月島さんがどんな表情をしているのかも怖くて確かめられないまま、ただただ足を動かしていた。
 結局無言のままコンビニまで辿り着いてしまった。それでは、と去る事も出来ず悩みに悩んでから口を開く。
「あの、酔い覚ましにコーヒーでもいかがですか」
「え?」
「ご馳走になってしまったので、せめてコーヒーくらい奢らせて下さい」
 コンビニのコーヒーなんて先ほどの食事代の足しにもならないだろうに、何を口走っているんだろうと思った。だが、そうしてでももう少し一緒にいて何かを話さなければ、今後月島さんとは会えなくなるような気がしたのだ。
「……では、コーヒー一杯分、もう少しお付き合い頂けますか」
「! はい!」
 やっと顔を上げて、月島さんの表情を見る。先程とは違い、柔らかい表情でいた事にそこでやっと気付いた。今度は恥ずかしさで、また顔を逸らしてしまう。月島さんが店内に入って行くのを慌てて追う。
 月島さんは足早に氷だけが入ったコーヒー用のカップを手に取りレジに並んだ。アイスコーヒーでよかったですかと私に確認したかと思えば結局コーヒーのお金も月島さんが払ってしまい、あれよあれよという間にコーヒーを淹れてまた外へと出る。
「こ、これじゃ意味ないじゃないですか」
「いつも弁当屋ではよくしてもらってるんで、本当に気にしないで下さい」
「で、でも……」
「……それじゃあ、次の時はご馳走してもらえますか」
「えっ」
「食べ放題のお店、楽しみにしています」
「は、はい! 美味しそうなお店、探しておきます!」
「……今度は、お酒のないところで、またゆっくりお話させて下さい」
 へっ、と月島さんを見ると、月島さんは少しだけ照れ臭そうな表情で笑った。こんな笑い方もする人なんだな、とまた一つ知らない月島さんを知り胸がきゅっとなる。ドキマギしている間にも月島さんはコーヒーを飲み干し、店先のゴミ箱にカップを捨てていた。
「家は本当にこの辺なんですか」
「は、はい! もうすぐそこなので」
「では、気を付けて。今日はありがとうございました。またお店に行きます」
「は、はい! またのお越しお待ちしています!」
 つい癖で、弁当屋にいる時のように口走ってしまった。そんな私を笑いながら、月島さんは手を振り去っていった。
 遠ざかる背中を見送りながら、もう追いつく事も出来ない距離になってやっと、連絡先も交換していない事に気付く。そんな馬鹿な自分に呆れながらも、次の月曜日が楽しみで仕方なかった。きっと月島さんは来てくれるだろう、そうしたらその時こそは連絡先を聞こう。
 
 もう見えなくなったその背中に向かって、心の中で呟いた。またのお越しを、心よりお待ちしています、と。