また明日の約束を

 雲一つない空。気持ちの良いくらいの晴天に、ベランダに干せるだけの量の洗濯物を並べていく。シーツの類も綺麗に洗濯してとても気分がいい。先週の週末とは大違いだと思った。
 ここしばらく来店のなかった月島さんと、思い掛けずご飯を食べ行ったのが昨夜の事。お酒が入っていたのもあってやや踏み込みすぎたような気もするが、それでも色々な話が出来てとても楽しい時間だった。月島さんが抱いていたらしい誤解も解けたようだし、また今度という話も出来た。浮かれ過ぎて、早速美味しいご飯のお店や評判のいい食べ放題のお店を探したり、普段なら億劫で手を出さない部分の掃除や家事などを張り切って行い、特に予定のない週末はあっという間に過ぎて行った。
 
 そして、月曜日。いつものように仕事を片付けて、昼休みに昼食を取っていると一通のメッセージが入った。差出人は弁当屋のおばさんで、その珍しさに私はすぐ内容を確認する。
『災難が続く。けがをしたので、しばらく店を 休もうと思ってマス』
 スマホは未だに使い慣れないと言うおばさんから、少し変換の独特なメッセージ。その内容に私は驚き、まだ昼食の途中だと言うのに慌てておばさんに電話を掛けた。四回目のコール音の後、少しだけ元気を失ったおばさんが出る。
「もしもし、おばさん怪我したって大丈夫?」
『あぁ、わざわざごめんね。大した事じゃないんだけどね。ほら今日壊れた炊飯器の事で業者が来るって言ってたろ?』
「ああ、そうだったね」
『それでまあ、炊飯器を移動させようとしたら足の上に落としちゃってさ』
「えっ!? 足の上に!?」
『そう、それで……ああ、ごめんまだ病院なのよ。先生に呼ばれたから行くわね。ナマエちゃんも仕事頑張って。うちは気にしなくていいから』
「ちょ、ちょっとおばさん!?」
 そう言って電話は切れた。炊飯器。弁当屋でこの間壊れたという炊飯器は業務用のガスのもので、しかもかなり古くから使っているものでまあまあな重量がある。恐らく、子供一人分くらいの重さだ。それを足の上に落としたと言うことは結構大事なのではないだろうか? 想像しただけで痛みを感じ顔が歪む。昼食の残りも喉を通らなかった。その後もおばさんから何か連絡が入らないか気になりながら、何とか午後の業務を終わらせた。
 
 定時のチャイムが鳴るのと同時に私は席を立ち、いつもの通い慣れた道を進んだ。おばさんの事が気掛かりで仕方なかった。
 おじさんとおばさんの家は、弁当屋のすぐ裏にある。建物内は繋がっていなものの訪ねればどちらかにはいるという状況だった。まず弁当屋の方を念の為確認すると、ぴっちり閉まったシャッターに『怪我の為、暫く休業致します』と書かれた張り紙があった。そのまま裏にまわり、インターホンを押す。少し待っているとおじさんがはぁいと間の抜けた声で応じた。
「ミョウジですー! おばさん大丈夫なんですかー!?」
『あぁナマエちゃん。わざわざ来てくれたのかい。まあお上がりよ今開けるから』
 プツッとインターホンが切れると、しばらくしておじさんが鍵を開けて出迎えてくれた。何度か玄関先まで訪ねた事はあるけど二人の家に入るのは初めてで、少し不思議な気持ちになる。案内されたリビングへ行くと、右足の先を包帯で固定されたおばさんが椅子に腰掛けていた。
「あらぁナマエちゃん。悪かったわねわざわざ」
「いやいや。結構酷いの? 大丈夫?」
「いやぁね、ちょっと足の指にひびが入っちゃって。軽く落ちただけだと思ったんだけど」
「いや、あの重さのは軽く落ちたとかで済まないでしょ!」
「あの重さ? ……あぁごめん、私炊飯器としか言ってなかったね。落っことしたのは、臨時で使ってた家用の小さいやつだよ」
「へっ?」
「まあそれでも三キロくらいはあるかねぇ。だからまあまあ痛かったけど。流石にあの業務用のを落としてたらこれくらいじゃ済まなかったかもね」
 ケラケラと笑うおばさんの顔に、ホッとしてその場に座り込む。
「てっきり業者の人が来るとか言ってたからあっちの方かと!」
「そうだねぇ私の言い方が悪かったよ。まあでもそれを考えたらこれくらいで済んでよかったって事かもしれないね」
「確かに、三キロのものでもよっぽどだもんね……それで、全治どれくらいなの?」
「三週間くらいかねぇ。まあ、少し痛いけど歩けはするから、そこまで支障ないんだよ。ただ弁当屋は仕込みとかも含めて一日立ち仕事だからねぇ。年齢的にも治りが遅いかもしれないし、可能なら休みなさいって先生に言われちゃってさ。ほらお父さんも腰が悪いから一人ではさせられないし」
「そっかぁ……」
「まあとにかくしばらくはのんびり安静にしとくよ。ナマエちゃんも、何だかんだとずっと手伝って貰ってて悪かったね。今月出てもらってた分の給料先に払っとくよ」
「そんなの気にしなくていいのに! ……ずっとお世話になってきてるんだし、私にとってはもう親みたいなもんだから、気にしないで」
「ははっ嬉しい事言ってくれるじゃない。ありがとね」
 そう言って嬉しそうに微笑むおばさんに、胸がくすぐったくなる。実家にいる母とは若干折り合いの悪い私にとって、本当にこの二人は学生時代から長い事可愛がってくれる第二の親のような存在だった。
「まあまあ、これを機にナマエちゃんもしばらくゆっくり休みな。また連絡するから」
「うん、そうだね。なんかあったら駆け付けるから連絡して」
「ははは、ありがとうね」
 見送ってくれようとするおばさんを制して、玄関へと向かう。思っていたよりも元気そうなおばさんの姿に安心すると、途端にお腹が空いてきた。そういえば、昼食もほとんど取れていなかったのだった。夕飯をどうしようかと考えながら、なんとなく月島さんの顔を思い浮かべる。やっぱりこの間、連絡先を聞いておくべきだったなと非常に後悔した。数週間も月島さんに会えないのかもしれない。先程まではおばさんの事でいっぱいだった頭が、今度は月島さんの事でいっぱいになっていた。
 
 もしかして月島さんが来ていないかと期待して店先の方まで行ってみたが、その姿は見えなかった。そんなにタイミングよく遭遇出来る訳がないかと足を家の方向へ向かわせる。その間もお腹は小さく切なそうな声をあげ、今日はもうコンビニで何か買ってしまおうかと角のコンビニに寄ると、思いも寄らぬ人がそこに居たので私は目を丸くした。
「月島さん!?」
「あぁ、こんばんは」
 店先で煙草を吸っていた月島さんは、私の姿に気付くと灰皿に煙草を押し付け火を消した。火を付けたばかりに見えるその煙草の長さに、なんとなく申し訳なく思う。
「びっくりしました、今日はお会い出来ないかと思ってたので……実は、おばさんが怪我してしまって、しばらく弁当屋お休みになるんです」
「さっきその張り紙を見まして。大丈夫なんですか?」
「あ、はい。一応。足を怪我して、歩けはするけど立ち仕事は控えた方がいいらしくて」
「なるほど」
「あ、もしかしてそれで夕飯を買おうとこちらに?」
「え? あぁ……いや、そういう訳ではないんですが」
「違うんですか?」
「ん、まあそういう事にしておきましょうか」
 はっきりとしない物言いで月島さんは目を逸らした。その様子を疑問に思いながらも、月島さんがまだ買い物をしてない様子なのを確認する。
「あの、もしかしてまだご飯買われてないですか?」
「え? あー、まあ、はい」
「えっと、それなら……」
 また一緒にご飯を食べませんか、と誘おうとして、あまりにグイグイと行き過ぎかなと急に心配になった。とは言え言い掛けてしまったし……と思いながら言葉を探していると、
「今日は、どこの店に行きますか」
 見かねたように月島さんの方からそう声を掛けてくれた。この間の別れ際に見せたような、照れ臭そうな笑顔にこちらまで胸がむずむずとしてしまう。
「そうだ、今日は時間が早いですし、この間言っていた定食屋さんはどうですか? ご飯もおかわり自由でたくさん食べられますよ」
「ほう、それはいいですね」
「ふふ、月島さんは本当にお米が好きなんですね」
「そうですね、最悪米が炊けていれば何とかなると思っています」
「そんなにですか! ……ふふ、まさかこんなにすぐまたご飯食べに行けると思ってませんでした」
「ふ、そうですね」
 微笑む月島さんを横からこっそり眺めながら、定食屋へと向かう。まだほんのりと明るい外で月島さんを見るのはなんだか変な感じがした。もちろん、嬉しい意味で。
 
 少し歩いた先のこじんまりとした定食屋へ入る。ここも弁当屋と同様にご夫婦で経営されているお店だ。
「ここ、なんでも美味しいんですけど、お肉系ならチキン南蛮がオススメです。あ、でもトンテキも美味しいし、男の人ならホルモン焼きも好きかもです」
「うーん……じゃあ、自分はホルモン焼きにします。ミョウジさんは?」
「私は魚の煮付けにしようかな。すみませーん」
 手を上げてアルバイトらしい女の子を呼ぶ。前に来た時には見かけなかったので新人さんだろう。辿々しく注文を聞きその内容を繰り返し確認しては厨房へ向かっていく。その姿が微笑ましかった。
「ふふ、私もねあれくらいの歳の頃から弁当屋でバイトしてたんです」
「じゃあ、本当にかなり長いんですね」
「空白の期間もありますけどね。でもその間もお弁当買いに行ってたし、本当に付き合いだけで言えば長いです」
「いいですね、それだけの期間付き合いがある関係というのは」
「でも月島さんと鯉登さんも結構長い期間付き合いがあるんじゃないですか?」
 何気なく鯉登さんの名前を出して、あっと口を噤む。先日あらぬ誤解をされたばかりだったのをふと思い出す。
「あの、別に鯉登さんの事を知りたくて話題に出した訳じゃないですからね?」
「……ふ、わかりました。その節は、こちらの勘違いであんな態度を取ってしまいすみません」
「いえ、こちらこそ……」
 あの日のやり取りを思い出して、思わず恥ずかしくなる。そういえば、結局きちんとは言えなかったけど月島さんに今抱いている思いを伝えようとしていたのだ。
「そ、そういえば、またご飯にって言ってたのに連絡先交換してなかったなと思いまして」
「あぁ、そういえばそうですね」
「もしご迷惑じゃなければ、教えて頂けますか?」
「もちろん」
 お互いスマホを取り出して連絡先を交換していると、それぞれ料理が運ばれてきた。つやつやと輝く魚の煮付けに、食欲をそそるニンニクの香りのホルモン焼き。どちらにも豆腐とわかめ、それから玉ねぎの入った白味噌の味噌汁と、ほうれん草のお浸し、きんぴらごぼう、きゅうりと人参の漬け物が添えられている。
「ここ、お漬物自家製の糠漬けなんですよ。お米が好きなんでしたら、きっと好きだと思います」
「それはそれは、楽しみです」
 いただきます、と互いに手を合わせて料理を口に運ぶ。味噌汁を啜り、メインよりも先に糠漬けを一口ぱくりと口にした月島さんは「本当だ、美味しい」と頬を緩ませた。その姿を見るだけで幸せな気持ちで満たされていくのを感じた。
 
 少し会話を交わしながらも、目の前に並んだ料理達が冷めてしまう前にとお互い箸をすすめる。月島さんは糠漬けをえらく気に入ったようで、ご飯と一緒におかわりが出来ると知ると嬉しそうに頼んでいた。私が食べ終わるまでの間に月島さんは二回のおかわりをしていた。
「ふふ、気に入ってもらえたようでよかったです」
「ええ。教えて下さってありがとうございます」
「もう少し遅くまでやってたら月島さんも来やすいんでしょうけどね。今日はラッキーでしたね!」
 普段より早い時間で、しかも偶然コンビニで遭遇出来るなんて! と話すと、月島さんはふいっと俯いた。
「……偶然じゃないんです」
「えっ?」
「すみません、実は、偶然じゃないんです」
「どういう事ですか?」
「仕事が早く終わったのは偶々ですが、今日いつものように弁当屋に向かったら休業というのを見て。そのまま帰ろうかとも思ったんですが、次にいつミョウジさんと会えるだろうと思ったら、自然とあのコンビニに足が向かっていたんです」
「……へっ」
「……すみません、気持ち悪いですね。忘れて下さい」
 月島さんの言葉に頭の整理が追い付かず間抜けな顔をしてしまう。その間に月島さんは頭を下げ伝票を手に取り、出入り口へと向かおうとするので慌ててその手を取る。
「ま、待って下さい! 全然気持ち悪くないです、というか、えっとそれってつまりあそこで私を待っててくれてたという事ですか!?」
「……まあ、はい。そういう事です」
 わざわざ言葉にして確認した私に、月島さんはバツが悪そうな顔をする。月島さんも、会いたいと思ってくれていたのだろうかと、胸がいっぱいになった。
「気持ち悪いどころか、嬉しいです!」
 思わず大きな声でそう答えてしまう。弁当屋の夫婦ほどではないが、それなりに顔馴染みになりつつある定食屋の夫婦がにやにやとこちらの様子を窺っていた。恥ずかしくなって、月島さんの持つ伝票を奪い、そそくさと会計に向かう。あ、と手を伸ばす月島さんに「この間ご馳走になったので!」と有無を言わさず会計を済ませ、店を後にした。
 
「美味しかったですけど、しばらくこのお店には来れないかもですね」
「うう、すみません大きな声を出してしまって」
「いえ、自分も変な事を言ってしまって……」
 この間と同様、どことなく気まずい雰囲気になりながら、コンビニへの道を二人で戻って行く。先に口を開いたのは、月島さんだった。
「実は最近、仕事が落ち着いて、しばらくの間は残業せずに帰宅出来そうなんです」
「えっ、そうなんですか! それは、おめでとうございます」
「ありがとうございます。それで、その……よければ、またこの辺りで美味しい店を教えていただけませんか。もちろん、ご都合のいい時に」
 へっ、と月島さんの顔を見ると、目を合わさずに、だけどまた少し照れたような顔をしていた。
「も、もちろんです! 私、弁当屋の手伝いがなくなったんで、明日も明後日も、なんなら今週ずーっと空いてますので!」
 勢い任せにそう言うと、その勢いに吃驚したまま月島さんは目を合わせ、ふはっと吹き出すように笑った。
「また明日、仕事が終わったら連絡してもいいですか」
「はい! お待ちしてます!」
 そんなやり取りをしていると、コンビニへと辿り着いた。
「では、また明日」
「はい、また明日」
 ぺこりとお辞儀をすると、月島さんは手を振りながら去って行った。帰り道、スマホを取り出して先程連絡先に加わった『月島基』の三文字を眺めては、何度も何度もにやけながら家路へと向かった。