互いの帰りを待つ場所

 それはまだほんのりと肌寒いけれど、少しずつ春の息吹も感じるようになった日の出来事だった。休日の朝、いつもの様に基さんの隣で微睡みながらもぞもぞと体を動かしていると、不意に基さんに抱き締められた。
「朝は、まだ冷え込むなあ」
「本当だね。でもそろそろ、炬燵も仕舞う時期かなあ」
「いいのか? ナマエ、炬燵が気に入ってるだろう」
「私の家にはないからね。でもあんまり長々出しておくのもよくないかなって」
 基さんの腕の中で互いに熱を分け与えながらそんな会話を続ける。基さんは普段は寝起きがとてもいいのに、二人で過ごす朝はこうやってゆったりとスタートさせる。この時間が、私はとびきり大好きだった。
 のんびりとした二人の空気を割く様に、基さんのお腹が鳴る。昨夜、二人で食べたおでんの香りがまだほのかに部屋の中に残っていて、私も少しお腹が空いてきたところだった。
「ふふ、朝ご飯にしようか。まだ昨日のおでん、少し残ってるけど食べる?」
「ん……もう少しこうしていたんだが」
「でも、基さんのお腹が悲鳴を上げてるよ」
「まだもう少しなら平気だ」
「んー……あ、じゃあちょっとだけ待っててくれる?」
 基さんが名残惜しそうに腕を離す。すぐだから、と私は笑って布団を抜け出してキッチンへと向かう。昨夜の残りのおでんの量を確認して、米を研ぎ炊飯器の中にお米とおでんの残り汁、細かく刻んだおでんの具とみりんと醤油を少し加えて味を整え水を注ぎ、炊飯ボタンを押す。手を洗ってから、冷えた体をもう一度暖めようと布団に潜り込んだ。
「ただいま」
「この一瞬で体が冷えてるぞ」
「ふふ、じゃあまた暖めてね」
「仕方ないな」
 口ではそう言いながら全く仕方ないとは思ってなさそうな基さんの表情と動きに笑みが溢れる。幸せすぎて眩暈がしそうだった。少しずつ基さんの温もりを奪いながら、唇を重ねる。そうして私たちは、昨夜の続きだとでも言うように気が付けばお互いを求め合っていた。
 
 朝から体を重ね合わせるのは珍しい事ではなかった。だけども、夜ほどにその時間が濃くはなく回数も多くないのは、ひとえにお互い朝はお腹が空くからであった。
「つくづく、私たちって色気より食い気なのかも」
「そうかもな」
「ふふ、出会った頃もお互い食べてばっかりだったもんね」
「最初は食事に誘う以外どうしたらいいかわからなかったしな」
 先程までの甘い時間はどこへやら。ちょうどお互いが達した頃には部屋にはおでんの残り物による炊き込みご飯のいい匂いが部屋中を包んでいて、余韻に浸る間もなくどちらのものかわからない腹の音が鳴り響いていた。お互いに顔を見合わせて笑い、軽くシャワーを浴びて汗と余韻を流してから、二人で食卓を囲む。
 私の後に浴室へ向かった基さんを待ちながら作った、豆腐とわかめだけのシンプルな味噌汁に、おでんリメイクの炊き込みご飯と、炊き込みご飯に入れるには躊躇われた玉子やハンペンなどのおでんの具材を並べた。あるもので作られた簡単な朝食を前に手を合わせ食べ進めていく。
「いいもんだな、おでんの残りで炊き込みご飯」
「結構美味しいでしょ。昔弁当屋のおばちゃんに教えてもらって、たまにやってたの」
「ふうん。おばさんは元気か」
「うん。お孫ちゃんもアルバイトしてるから嬉しいみたいよ」
「そうか」
 付き合い始めの頃は、家で手料理を食べる時にももっと凝った物をお互い作っていた。互いに少しずつ取り繕って相手にいいところを見せようとしていたのだ。それももう出会って二度目の春を迎えようとする今になってしまえば、少しずつ薄れていっていた。それは決して悪い意味ではなく、お互いの前で気楽に過ごせるようになったのだという事だった。
「そうだ、基さんお誕生日何が欲しい?」
「……特には」
「もう、いつもそうじゃない。ざっくりとでもいいからさ、何かないの? 欲しいもの」
「うん……そうだなあ」
 ちらり、と私の方を見ながら基さんは箸を置いた。
「今度、引っ越そうと思うんだ」
「えっ、そうなの? いつ? 遠くになっちゃう?」
「いや、場所はこの辺にしようとは思ってる。もう少しでこの家の契約更新時期だから、この際引っ越そうと思ってな」
「あぁ、そういう事か。それで?」
「新しい家とそこに合う家具を探すのを手伝って欲しい」
「うん、それはもちろん。でもそれじゃ誕生日のお祝いにはならないんじゃない?」
「……誕生日に、というには大きすぎるかもしれないんだが」
「うん?」
「俺と、一緒に住んでくれないか」
「……へっ」
 多分、とても間抜けな顔を私はしているだろう。口に運び損ねた炊き込みご飯は箸から転がり落ち、机の上でぐしゃりと潰れた。慌ててティッシュで落としたご飯を拾い上げ、そっと包む。私も箸を置いて、しっかりと基さんを見据える。
「今でも、しょっちゅうお互いの家に行き来していて半分一緒に住んでいるようなもんだと思ってる。それならいっそ広い部屋を借りて一緒に住まないかと思ったんだが、どうだろうか」
 気が付けば基さんはわざわざ正座をして背筋を伸ばしていた。私の顔を真っ直ぐに見つめながら、少し緊張したように私の返事を待っている。
 そんなに緊張しなくたって、答えは分かりきっているのに。
「ふふ、もちろん。嬉しい」
「そうか」
 私が笑顔で答えると、基さんもホッとしたように笑った。安心した顔をした基さんに、ほらご飯食べないと冷めちゃうよと促す。慌ててご飯を食べ出した基さんの姿を見ながら、ぽつりと私は呟いた。
「基さんになら、私の人生だってあげるのにな」
 炊き込みご飯を落としたのは今度は基さんの番だった。きっと私も、さっきはこんな顔をしていたんだろうなと基さんの顔を見て笑う。少し口を開けたまま間抜けな顔で固まった基さんは、少しした後はぁーと大きな溜息をついて頭を抱える。
「どうしていつもお前はそう……」
「なあに?」
「告白の時と言い、頼むから俺の台詞を取らないでくれ」
「あれ、言ってくれる予定があったの?」
 くすくすと笑うと、基さんは付き合いが始まったあの日と同じようにガシガシと頭を掻いた。
「今度、改めて言うからそれまで待ってろ」
「ふふ。楽しみに待ってるね」
 そう言いながら味噌汁をずずっと啜った。
 
 それはまだほんのりと肌寒いけれど、少しずつ春の息吹も感じるようになった晴れやかな天気の日曜日。さあ、二人の新生活に向けた部屋でも、探しに行こう。またのお越しを待つ場所じゃなく、お互いの帰りを待つ場所を探しに。